大源寺の新聞チラシ表
大源寺の新聞チラシ裏

当たり前は変わる


お墓の歴史ご存知ですか?

■古代のお墓
古来、日本では神道の影響で人の死はケガレとされ生の世界と死の世界を区別し、自分達が生活する生活圏外に遺棄(野捨て)されていました。一方、貴族や豪族といった階級層は権力の象徴として古墳を作り埋葬されるようになります。

■仏教伝来以降のお墓
その後、仏教の伝来により天皇や貴族の間で仏式での葬儀が行われるようになり、鎌倉時代に入ると身分の高い武士階級でも墓を建てるようになりました。しかし、一般庶民は変わらず自分たちの生活圏から隔離された場所へ遺棄あるいは埋葬していたようです。村外れにある集落墓地がその名残です。

■土葬のお墓
江戸時代に入ると、寺院が幕府の戸籍係となり、庶民はいずれかの寺院の檀家となることを義務付けられました。この檀家制度の登場により庶民もお寺の境内にお墓をもつようになるのです。しかし墓石を建てられるのは一部の裕福な層だけで、ほとんどは小さな石を積み上げるようなものでした。また、今のようなお墓ではなく土葬中心だったため、個人のお墓で境内に埋葬できる数は限られているので、町外れに埋葬されることも多かったようです。

■家墓の誕生
明治になると天皇を頂点とした「家制度」が確立されます。そして火葬を前提とした骨壷をカロートに納める「家墓」が登場します。

しかしながら、明治30年の火葬率は29%とまだまだ庶民の「家墓」の普及は進んでいませんでした。この火葬が進み現代の「家墓」が普及してくるのですが、昭和30年で火葬率は未だ54%。戦後「家墓」が定着。現代の火葬率は99%となっています。高度経済成長とともに広がってきたと言えます。

■家墓の崩壊
現代のお墓事情は、少子高齢化や核家族化により「イエ意識」が希薄化し、地方から都市へ定住・定着したことで檀家制度そのものが崩壊してきました。それにより、お墓を次の代に継承していくことが困難、あるいは継承したくないと思う人々が増えてきました。

■継承を前提としないお墓の登場
家墓は建てても2.5代で無縁化。半数の人が無縁化懸念を持つ時代となっています。そのような現代人のニーズに応えるように、継承を前提としないお墓が登場します。1985年(35年前)お寺が遺族に代わり供養してくれる「永代供養墓」が登場。1991年(29年前)海などに粉状にした遺骨を撒く「散骨」が始まります。2000年(20年前)遺骨の一部を手元に置いて身近に供養する「手元供養」。そして、1999年(21年前)墓石ではなく樹木や草花を墓標とし埋葬する「樹木葬」が始まりました。

このように、継承しなくてもいいお墓が全国的に広まり、なかでも自然に還るといった日本人の死生観に合い費用負担も少なくてすむ樹木葬は、よりスタンダードなお墓として注目されています。